自分ノート

~自戒と教訓の旅~

人生における「正しさ」【ふとした・ダイアリー 第6号】

今日、歯医者に行ったが、その途中で、目が不自由な人に出会った。彼は、白杖を持っていて、付添の方の肩に手を添えて歩いていた。私は、彼らを見た瞬間、思いがけず身構えた。彼らに対して、どう対応するのが、どう行動するのが正しいのか悩み、怖くなった。勿論、彼らは私と何ら変わらない1人の人間であることには間違いないのに、不安だった。自身が選択した行動によって間違いを犯すことが。またそれによって誰かを傷付けてしまう事が。いや、むしろこれは、自分が意図せず相手を傷つけてしまった事に自分自身が傷つくのが不安だったのかも知れない。(今考えると、もしかしたら、私は彼らに献身的で、何か協力したくて焦っていただけなのかも知れない)そう考えていると、自分の心の中にある自分の居場所が、ぎゅーっと縮まっていく感覚を覚えた。そんな事を、綺麗な女性の歯科衛生士さんに、カバみたいに大きく口を開けながら考えていた。

帰りに、エレベーターに乗る順番を、後ろの人に譲った。「ありがとう。」と言われ、なんとなく気分が良くなった。また、私はせっかちなので、歩速が少し早い。目の前をゆっくりと歩くおじいさんを、最初は少し煩わしくも思ったが、なんだか彼の心に近づく感覚覚えると、その煩わしさも消えていった。

なんだか、「正しさ」ばかり求めるのも、ひどく窮屈な気もする。その気心は、なんとなく美徳な気さえしてしまうが。ただ、相手を思いやる、気にかける心だけは、大切に持ち続けたい。さて、今日のお昼は何にしようかな。(すき家でねぎたまを食べました)

 

 

不味いラーメン【ふとした・ダイアリー 第5号】

私の自宅から、美味しいラーメンにありつく為には、最低でも隣町まで出向く必要がある。徒歩圏内にラーメン屋はあるが、そこには「不味い」という印象がギトギトの油汚れみたいにこびり付いていたのであった。ただ、暫く食べていないと、味もすっかり忘れて、「もしかして美味しかったのでは」という疑念が湧いてきて、少々迷ったが、今日はここでお昼を取ろうという気になった。

入店。相変わらず狭い店内は、カウンター席オンリー。ラーメンと餃子で丁度、1,000円になるから、それを注文した。昼時だったので、私の後に続いて、色々な客が入店してきた。私と言えば、何処に目をやるか探していて、目の前にあるメニューとか台の上に置いてあるテレビなんかを眺めていた。

暫くすると、ラーメンと餃子がやってきた。サラサラしたスープは、豚骨のおかげで真っ白になっていた。もやしを土台にしてチャーシューが乗っていた。果たして、不味いラーメンの味は如何に。いただきます・・・。可もなく不可もなくという印象だった。というのも、私は、天下一品のこってりラーメンが、ソウルフード化してしまっているが為に、それが平均点になってしまっている。平均点に比べれば、そこまで・・・という味だった。でも、決して不味くはない。頻繁に食べてたら不味くなるとは思った。

さっきも言った通り、店内は狭い。しかも昼時で店は混みだしていた。縁もゆかりもない他人達と肩を寄せ合って食べた。隣に座っていたおちゃんが、タバコを吸い出した。針のような鋭さを持ったその匂いの四面楚歌に遭いながら食べた。落ち着けやしない。だけど、たまにはこういうのも「風情」というものだろう。いつも以上に鼻水が出た。

 

 

雨の音、真っ暗なお風呂【ふとした・ダイアリー 第4号】

 今日は、雨が降っていた。シトシトという音が、窓の外からでも十分に聞き取れた。そんな事実が、ふと湯船から立ち上がる湯気と共に湧いてきた気がした。私は何を思ったのか、風呂場の窓を開けて、電気を消した。風呂場は、給湯器の電光掲示板の光以外、光を失った。いや、光が暗くなっただけなんだと思う。視覚情報を奪われた私は、どうする事も出来ずにいた。ただ、顎まで湯船に沈んでいて、目は自然と閉じていった。私の意識は、雨の音だけに集中した。普段は鬱陶しいとさえ思った雨の音も、こう耳を澄ますせると案外悪くないものだった。シトシトという音が、時々、鉄の格子かなんかにあたって、少し大きな音を立てたりしていた。しばらく、雨の音に心を奪われていると、雨に冷やされた外の空気が、私の肌に優しく触れてきた。彼らは流暢に「こんばんは」などと挨拶はしない。おばけみたいに現れたと思うと、私の肌に優しく触れて挨拶する。少し寒い気もするが、妙に気持ちが良かった。そのうち、意識がぼんやりしてきた。湯船に浸かっている身体が、どんどん溶けていくかのような、冷たい空気に蒸発していくような、真っ暗な光に同化していくような、そんな感覚に襲われた。でも、なぜか、気持ちは良かった。するとまた、ふと、思った。この雨も”酸性雨”なんだろうなって。そこではっと意識が、視野が、感覚が私の身体に戻ってきた気がした。こんなしょうもない事を考え出すということは、そろそろ良い頃合いというもの。私はそそくさと湯船からあがった。少し日が経てば、また台風さんがやってくると思う。その時、湯船は用意できるかはわからないけれど、また雨の音を嗜みたい。その時には、雨の音、冷たい空気、真っ暗な光に同化できる気がする。 きっと。