自分ノート

~自戒と教訓の旅~

私はなぜ「TEXHNOLYZE」が好きなのか

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写真:TEXHNOLYZEのDVD全巻(レンタル落ち)

 

こんにちは。私はTEXHNOLYZEというアニメが大好きです。私がTEXHNOLYZEに出会うまでの経緯は前回のブログに書きましたので、ご参照をお願いします。

 

sasurainoyama.hatenablog.com

 

で、今回の記事は「私はなぜTEXHNOLYZEが好きなのか」について研究しようと思います。まぁ、一言で言ってしまえば、好きだから好きなんですケドネ。純粋に心から好きという気持ちに変わりはありません。ただ私自身も「どうして、こんなにもTEXHNOLYZEが好きなのだろうか」と少し気になりまして。少々、野暮なことは承知ですが、どうぞお付き合いください。

 

※以下、ネタバレを含みます。本記事はTEXHNOLYZEについて筆者がただ語るだけの内容になっています。高尚なテーマや主張、考察等はありません。

 

 

なぜ「TEXHNOLYZE」が好きなのか

 

 

││「映像表現」が好きだから

│1つ1つの「表現」や「見せ方」が工夫されている

第1話から最終話まで共通して様々な映像表現における工夫が見受けられます。様々な視点から映したカメラワークやその場の登場人物の感情を表す色彩表現、あえて視聴者に対して不親切なカット編集など多種多様です。

私は初めてこの作品を観た時、その「特異な色彩表現」衝撃を受けました。第1話終盤、櫟士が腕を切断されるシーンにおいては、画面全体が真っ赤な血の色に染まります。第2話、一瞬の復讐心を爆発させる櫟士と共に画面全体は鈍いオレンジ色に染まります。両方共、その場の櫟士の感情を表していると私は考えます。特にこの表現に関しては、これまで私が観てきたアニメ作品には見受けられなかったので、とても驚いたのを覚えています。

また、第1話冒頭、櫟士初登場のシーンでは、静寂な現在と興奮の過去が短いスパンで並べられており、私はこのシーンを見る度に高鳴る胸の鼓動を押さえきれません!その後の物語も同様に、過去と現在と未来を行き来するという、時間軸をずらした表現が多数見受けられます。これは物語を1周観るだけではそう簡単に理解出来ず、ストレスを感じてしまうかもしれません。ですがそんな事よりも、その謎を必死に理解しようとする興奮で胸がいっぱいになってしまうのは私だけでしょうか?

第12話終盤、櫟士が父親の仇を討つシーンとか特に好きですね。湧き出る人間としての赤裸々な感情を映像表現を巧みに使いこなし、観ている私達に訴えてきます。「復讐」に駆られ、際限ない怒りの高ぶりが、己の拳へと流れる込む櫟士の激しい感情を表現したとても秀逸なシーンだと、私は考えています。

 

│芸術作品からのインスパイア

本作では様々な芸術作品からのインスパイア及びオマージュが見受けられます。地上のラジオは映画「オルフェ」、地上の背景は画家「エドワード・ホッパーの作品が元と考えられます。これらなしに、TEXHNOLYZEの地上は成り立ちません。これらが構成要素の1つとして作品に溶け込み、融合することによって、あの異質だけど、なぜかとても落ち着く「地上」が完成されると私は考えています。

また、オランダの画家「ピエト・モンドリアンや日本の伊藤若冲の作品のインスパイア及びオマージュも本編で見受けられ、それら作品の美点がとても良く本作に活かされています。

上記以外にも様々な芸術作品からのインスパイアが見受けられます。詳しくは下記URLの同人誌「Are You Texhnolyzed?」に詳しく書かれていますので、ご参照を。

 

booth.pm

 

 

││「生命力」を強く感じるから

この作品を初めて観た時に、私が最も衝撃的だったのが「人間的描写とその表現の豊かさ」です。人間が人間として当然として持つもの、つまり、感覚や感情、それらによる表情の変化などが本編では緻密に描かれまた、表現されています。

それまで「腕1本切られたって全然ヘッチャラだぜ!」みたいな所謂、「感情の記号的表現」に慣れてしまっていた私にとって、TEXHNOLYZEの衝撃波は凄まじいものでした。登場人物が様々な感情を様々な表情と共に発露する。単純なリアリティの追求という訳でもなく、どちらかと言えば感情描写の追求を目指した本作では、登場人物たちが見せる表情に、時に共感し時にハッとさせられます。

第1話終盤、櫟士の腕が切断されるシーン。画面は真っ赤に染まり、櫟士の顔面はこれまでに体験したことが無い程、激しく歪む。その痛みによる声はどこから発せられているのかさえ、曖昧になる。生きていた腕はただ単なる物質として、その場に一瞬の音を立てて落ちる。このシーンはTEXHNOLYZEにおける登竜門と言っても良いのではないでしょうか(?)このシーンの衝撃は今でも忘れられません。自分の腕を失う痛み、怒り、憎しみ、悲しみ、後悔、と様々な感情が一気に溢れ出します。つい「もし自分が櫟士だったら・・・」と考えてしまう程、強く私達に訴えかけるシーンだと私は考えています。

 

 

││「生きる」を強く感じるから

TEXHNOLYZEの物語は、人間が人間らしく生きて、死んでいく群像劇だと私は考えています。登場人物の1人1人が自身の信念を信じ、野望を抱き、生き、死んでいきます。その一連の描写が、当時、人生経験の短い私にとっては新鮮というか、とても興味深かった印象があります。

特に私は「シンジ」の生涯が好きです。ある1つの目標に憧れ続け、実現の為だけに生きてきた。そして、それに裏切られた。そうなった時、彼がとった行動は、「彼自身が抱いた野望」を「現実」と道連れに殺す事だったのです。この生涯には、私が中学生の時に読んだドイツの小説家ヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」を思い出します。過去を無かったことにする事で現在の自分の存在を許そうとした側面を持つのではと私は考えています。

また、「ドク」の生涯には共感するものがあります。それまで信じ続けてきたものが、残酷にも一瞬にして打ち砕かれる。それをただただ、受けいれられず、前も向けず、死んでいく。私にも、それに似た経験があるので、とても感慨深いです。

 

 

││「おっさん」が好きだから

本作は一応、ヤクザものなので、自然と背広のおっさんが沢山出てきます。ここではあえて「おじさん」と言わず「おっさん」と言います。 

おっさん好きである私にとって、本作のおっさん登場率は驚異的なのです!あ、おっさん好きと言っても、二次元限定ですからね。おっさんの年季入った感というかなんというか、おっさんには謎の魅力があります。

特に一押しは櫟士の腕と脚を奪った張本人「石井響介」。顔も好きだし、あのタバコくさそうな衣類に包まれた姿が様になりすぎている。そして、刀!イケメンと美少女にはやはり「刀」が似合いますね!ルックス以外にも想像を駆り立てられるのは「石井、本人の生涯」です。特に第6話!櫟士からの復讐にあう石井が、腹いせに櫟士を刀で切ろうとするシーン。以下、石井の台詞。

 

1「10年前の大西なんざ・・・。」

2「なんだよ、その目。虫酸が走るんだよ。嫌いなんだよ。オメーみたいに1人で生きていられると思いやがっている若造がぁ!」 

3「(睨みつける櫟士を鼻で笑い)俺もそうだったからさぁ。」

 

 

あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。萌える!萌え死ぬ!あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!主に3で死ぬ。3で萌え死んでしまう。

 

 

・・・失敬。私はこんな石井さんが大好きなのです。1から感じる、あの捻くれた感じというか一番になれなかったコンプレックスを抱き続けているというか。悪い意味で私と性格が似てるし。2で散々、櫟士を見下したかと思えば、すぐに3の台詞を吐きます。

「 俺 も そ う だ っ た か ら さ ぁ 」 

何、告白しちゃってるんですか石井さん!この時、囁くのが良いよね。櫟士への苛烈な制裁の影には、彼自身のコンプレックス、つまり同族嫌悪があったと私は考えています。LOVE、石井響介。

 

 

││「BGM」が好きだから

言わずもがな、 OPはJUNO REACTOR「GUARDIAN ANGEL」EDはGackt「月の詩」どちらも最高にかっこよくて、TEXHNOLYZEの世界観にマッチしています。

本編では、流9洲の空気が乾いていて退廃・荒廃した雰囲気に没入させられるあのギターの音色。地上に向かう電車の中で流れるJAZZには、ほんの一時の癒やしを感じます。また、地上では、その異様な、だけど何処までも落ち着き、平穏な世界観を穏やかに感じさせてくれます。その後、戻った地下では、なんとも言えない悲しさを内包しています。最終話、石田燿子の唄う「WALKING THROUGH THE EMPTY AGE」も良い。また、登場人物たちの感情表現、演出にも使われる大切な表現要素の1つでもあるのがBGMです。

サウンドトラックCD「THE MAN of MEN」「MUSIC ONLY MUSIC BUT MUSIC」もいつか絶対、買います。

 

 

││「廃墟」が好きだから

本作の舞台「流9洲」はそれ自体、荒廃した雰囲気 に包まれており、廃墟のようなものもいくつか確認できます。この「荒廃」「廃墟」という単語が私は大好きです。そもそも、廃墟に出会ったのは小学生の時。インターネットでたまたま見つけたサイトで日本の廃墟としては超有名な軍艦島の写真を見て以来、私は「廃墟」の虜です。たぶん、私が、TEXHNOLYZEが好きな理由の1つにも「廃墟」というキーワードがきっとあると思います。

 

 

││「地上」が好きだから

第19話と第20話において、舞台は地下の流9洲から地上へと移ります。地上は、地下の世界とは一線を画する世界観で、色も風景も対照的なのが印象的です。そして、私はこの「地上」がとても好きです。あの「限りなく薄くされた厭世観というか。何処か歪で違和感があって、だけど、超自然的で落ち着くというか。私はただ、地上の風景をだらりと望み、何も考えない。そしたら、何故か涙が出てくるここは確実に人間の世界であって、人間の世界ではない。

 

第19話。地上に向けて走る地下鉄の中は、ただ安らぎだけが漂っている。地上の風景は写実的よりは絵画的で、エドワード・ホッパー調に統一されている。何処からか聴こえてくる蝉の声と流9洲にはない、青い空と大きな雲、そこには自然現象が生きている。どこか不安を誘う音楽が、むしろ不安定な落ち着きをもたらす。地上に生きる人々には、彼ら特有の影と光があった。咲村は改めて、地上の実情を確信することとなる。人類は老いた。後は緩慢な死を待つのみである。そして、2人は映画館を訪ねる。そこで、人類の、彼らの、歴史を知る。 

 

第20話。彼の第二の母は確信する。彼女は地上に残ることを選択する。 

 

 

・・・。好き。(20話に観入ってしまった。)

 

 

││見返す度に好きになるし、新たな発見があるから

正確な数字はわかりませんが、もうかれこれ4~5周は観ていると思います。 見返す度に新しい発見があります。そして、好きが更に好きになります。本当に大好きなアニメだからこそ、なんだと思います。

 

 

││ヒトコト・フタコト

以上です。お疲れ様でした。今回の記事で、私がなぜTEXHNOLYZEが好きなのか、その「好き」の構成要素を確認出来て、とても嬉しいです。 

今後の記事の予定です。一段落つくまでは、TEXHNOLYZE1本に集中して執筆していこうと思います。内容はまず、本編視聴メモ、それと、それらを適当なスパンでまとめたものを予定しています。最低でも月に1本ぐらいを目標に頑張ってみます。まぁ、相変わらず、ぼちぼちペースですが、今後共どうぞよろしくおねがいします。